和歌と読み方
この度は 幣も取りあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

歌の意味

今度の旅では、道祖神さま(お地蔵様)に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでしたが、代わりに手向けの山の紅葉を捧げますので御心のままにお受け取りください。

道真が、宇多天皇に尽き従って奈良へ行ったときの歌です。

この時代の旅の風習として、旅の安全を祈るために、道祖神(お地蔵様)に幣(ぬさ)をささげていたのですが、

急な旅となったため、準備することができませんでした。

「その代わりといっては何ですが、美しい紅葉をささげますので、どうかお収めください。」

という意味の歌です。

この度は

「度」と「旅」の掛詞(かけことば)。

 

↓掛詞などの表現技法についてもっと知りたい場合はこちらの記事をどうぞ↓

【豆知識】和歌の表現技法(枕詞・序詞・掛詞)

 

 幣(ぬさ)

道祖神(どうそじん・お地蔵様)をお参りするときに捧げるための、細かく切った紙や布。

 手向山

「手向ける」と「手向山」の掛詞。

手向山は、奈良市にあり、ふもとに手向山八幡宮がある。

まにまに

漢字だと「随に」と書く。「ご随意に」「お心のままに」という意味。

菅原道真

敬意をこめて「菅家(かんけ)」「菅公(かんこう)」と呼ぶこともあります。

ひいおじいちゃんが貧乏学者でしたが、その子である菅原清公(すがわらのきよきみ・道真のおじいちゃん)が学業優秀で出世します。

さらにその子である菅原是善(すがわらのこれよし・道真の父)は文章博士(もんじょうはかせ)になりました。

文章博士は、今で言う東京大学学長のようなポジションです。

道真も文章博士になり、宇多天皇(うだてんのう・第59代)醍醐天皇(だいごてんのう・第60代)にお仕えして右大臣にまで上り詰めます。

頭がよく、勉強ができて、天皇の信頼も厚かったため、それを妬む者によっておとしいれられます。

「道真は醍醐天皇をあざむくつもりだ」と噂を流され、醍醐天皇はそれを信じてしまいます。

結局、道真は太宰府(だざいふ)に左遷(させん)され、その2年後、失意のうちに亡くなります。

道真のたたりと太宰府天満宮

 道真の死後、道真をおとしめるために働いた者たちが、次々に病死や事故死を遂げます。

「道真のたたり」が言われるようになりました。

醍醐天皇は、太宰府に使いをやり、道真のお墓のところに神社を作り、その魂をしずめようとしました。

しかし、その後も「道真のたたり」は収まらず、皇太子が二人、相次いで死んでしまいます。

そして、きわめつけは落雷です。

清涼殿(せいりょうでん・天皇のお住まいになる御殿)で貴族たちが会議をしていたところ、雷が落ちて多数の死傷者が出ました。

この惨状をまのあたりにした醍醐天皇はショックを受け、この3ヶ月後に崩御(ほうぎょ・天皇がお亡くなりになること)してしまいます。

翌年には、道真を信頼し、引き立てていた宇多上皇まで亡くなり、皇族と貴族の人たちの道真への恐怖は頂点に達します

朝廷(ちょうてい)は、道真に太政大臣の位を贈り、太宰府に建てた社殿には「天満宮」の号を贈りました。

「天満宮」は、本来天皇や皇族を祀る神社につける呼び名です。破格の例外的扱いです。

道真を神として祀ったその後の太宰府天満宮は、大きくなり、今では九州を代表する観光地となっています。

そして、菅原道真は「学問の神様」として日本人ならみんな知っている存在となりました。

道真の他の作品(和歌1首・漢詩1編)を「番外編」としてこちらで紹介しています。

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