乱れそめにし 我ならなくにみちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに
歌の意味
陸奥(みちのく)
現在の東北地方の太平洋側のことです。
信夫もぢずり(しのぶもじずり)
福島県信夫郡で作られていた染め物のことです。忍草(しのぶぐさ)の汁を石の上にかぶせた衣にこすりつけて染めました。
この歌は忍ぶ恋(相手に気持ちを伝えずに、ひそかに相手を思う恋)の代表的作品として多くの人に親しまれました。
河原左大臣
「かわらのさだいじん」と読みます。
京都の六条に河原院という豪邸を建てて優雅な暮らしをしていたためこの名前がつきました。
いろいろありますので整理しながら説明します。
陸奥と縁が深い
陸奥(東北地方)とさまざまな縁が語られております。
この「しのぶもぢずり」の歌もそうです。
河原院の屋敷では、大阪より塩を運んで、庭で塩釜(しおがま)の藻塩(もしお)を作っていたという話が伝わっています。
塩釜とは、今の宮城県塩釜市のことで、今でも塩作りで有名です。
また、源融は陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)という東北地方の長官に任命されたこともあり、源融が一時期東北に住んでいたのではという人もいますが、はっきりした証拠はありません。
この頃の陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)は遥任(ようにん)が当たり前になっていて、源融が東北へわざわざ行ったとは考えにくいのです。
遥任
当地には行かず、形式的に官位を任命されること。身分の高い貴族に多かった。
源氏物語のモデル
源氏物語の主人公との共通点が多いため、そのモデルであると言われています。
共通点① どちらも天皇の子でしたが、皇族の身分を離れて源(みなもと)の姓を名乗りました。源融は嵯峨天皇の子です。とは言え、この時代、皇族の身分を離れて源姓を名乗る天皇の子は何人もいました。
共通点② どちらも六条にお屋敷があります。
共通点③ どちらもイケメンでした。
臣籍降下(しんせきこうか)
天皇の子などの皇族が、皇族の身分を離れて姓を名乗ること。
百人一首に出てくる人では、源融の他に、在原業平、在原行平がいます。
権力闘争
宮中の権力闘争はすさまじいため、いくら天皇の子であっても順調に出世できるとは限りません。
敵対勢力が政治の実権を握ることもあり、そういう時期は屋敷に引きこもって風雅な遊びにいそしんでいました。
最終的には左大臣まで上ります。