文化や芸術にいそしむことは、平安時代の貴族にとって大切なお仕事でした。

1つずつ見ていきましょう。

 

和歌

 勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)が作られたり、宮中で歌会合(うたかいあわせ)が行われたりしていました。

和歌を詠むことは、貴族にとってとても大切な教養でした。

 このような「外でのおつきあい」だけでなく、和歌は私的なコミュニケーションの道具でもありました。

男女の恋愛は、和歌を通じて行われていました。

つまり、和歌はラブレターの役割も果たしていたのです。

(勅撰和歌集って何?と思った人はこちらを参考にしてください)→八代集と三大集

 

漢文

男子にとっては、漢文が分からないと仕事になりません。なぜなら、この時代の公文書(法律やお仕事の書類)はすべて漢文で書かれていたからです。

それだけでなく、漢詩もたくさん知っていないと会話についていけません。

特に「白氏文集(はくしもんじゅう)」という本は、必読書でした。

全部で70巻あるそうですが、みんな読んでいたそうです。

ちょっと想像できませんね。

 

楽器と舞

 宮中で行われる儀式では、雅楽が演奏されることがあります。単に演奏だけでなく、舞をともなう場合もあります。笛や太鼓やお琴での曲の演奏、いろいろな舞を踊ることも貴族のお仕事の一つでした。

 

書道

 この時代はすべて毛筆で字や絵や図を書いていたので、字が上手であるということは、それだけで大変に価値のあることでした。字が上手すぎて、自分で書道の流派を起こす人もたくさんいました。

三筆〔さんひつ〕(9世紀ごろの字が上手なトップ3)
空海(くうかい) 
嵯峨天皇(さがてんのう) 
橘逸勢(たちなばのはやなり)
三蹟〔さんせき〕(10世紀ごろの字が上手なトップ3)
小野道風(おののとうふう)
藤原佐理(ふじわらのさり)
藤原行成(ふじわらのゆきなり)

まとめ

上のことを、一人で全部できなくても大丈夫です。

自分の得意なことを生かして、活躍する人もいました。

例えば、源 博雅(みなもと の ひろまさ)という人は、楽器の名手でとても有名でしたが、歌や舞は苦手だったようです。

また、藤原行成という人は字がとても上手で有名でしたが、和歌がとても苦手でした。

それでも蔵人頭(くろうどのとう)という、天皇の首席秘書官にまで出世しています。

みんな、自分の長所を生かして頑張っていたのですね。

 

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