平安時代は、貴族が政治を行っていました。
そして、貴族の中心は藤原氏です。
政治の重要なポジションは、ほとんと藤原氏とその親戚がついていましたが、ごくごくまれに菅原道真のような、とても優秀な人が出世することもありました。
百人一首にも、たくさんの役職名が出てきますので、簡単に紹介します。
太政大臣(だじょうだいじん・だいじょうだいじん)
奈良時代から平安時代は、律令(りつりょう)という法律にもとづいて政治を行っていました。
この律令では「〇〇省」「〇〇省」のように、8つの省が作られ、それをまとめるものとして太政官(だいじょうかん)がありました。
今でいう内閣のようなものです。
その一番えらい人が「太政大臣」です。
百人一首の作者
藤原忠通(ふじわらのただみち)〔法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)〕
九条良経(くじょうよしつね)〔後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)〕
西園寺公経(さいおんじきんつね)〔入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)〕
左大臣(さだいじん)・右大臣(うだいじん)
左大臣が一番で、右大臣はニ番でした。
太政大臣がいないときもあったので、そのときは左大臣が太政官の中で一番えらい人になります。
百人一首の作者
徳大寺実定(とくだいじさねさだ)〔後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)〕
藤原定方(ふじわらのさだかた)〔三条右大臣(さんじょううだいじん)〕
源融(みなもとのとおる)〔河原左大臣(かわらのさだいじん)〕
源実朝(みなもとのさねとも)〔鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)〕
大納言(だいなごん)・中納言(ちゅうなごん)・参議(さんぎ)
大臣の次にえらい人たちです。
藤原氏やその親戚の人がほとんどですが、それ以外の人にもなれるように
「〇〇の仕事を何年無事につとめたら、参議になれる/中納言になれる」
のように出世するための目安もありました。
百人一首の作者
藤原公任(ふじわらのきんとう)〔大納言公任(だいなごんきんとう)〕
源経信(みなもとのつねのぶ)〔大納言経信(だいなごんつねのぶ)〕
大伴家持(おおとものやかもち)〔中納言家持(ちゅうなごんやかもち)〕
在原行平(ありわらのゆきひら)〔中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)〕
藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)〔中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)〕
藤原敦忠(ふじわらのあつただ)〔権中納言敦忠(ごんのちゅうなごんあつただ)〕
藤原朝忠(ふじわらのあさただ)〔中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)〕
藤原定頼(ふじわらのさだより)〔権中納言定頼(ごんのちゅうなごんさだより)〕
藤原定家(ふじわらのさだいえ)〔権中納言定家(ごんのちゅうなごんさだいえ)〕
小野篁(おののたかむら)〔参議篁(さんぎのたかむら)〕
源等(みなもとのひとし)〔参議等(さんぎのひとし)〕
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)〔参議雅経(さんぎのまさつね)〕
摂政と関白
摂政
天皇が幼い場合に、天皇を補佐して政治を行う人。
平安時代は、摂政になった人は、そのまま太政大臣になり、「摂政太政大臣」になることがよくありました。
関白
成人の天皇の補佐役。太政大臣がいないときは、関白が最高位になります。
摂政と同じく、平安時代は「関白太政大臣」になることがよくありました。