和歌と読み方
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし
わがそでは しおいにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

歌の意味

私の袖は涙にぬれてかわくひまもありません。まるで、引き潮の時にも見えない沖の石のように。

沖の石は、有名な歌枕である「末の松山」の近所にあります。

今は埋め立てが進んで、沖の石のある場所は海辺ではなく小さな池になっています。

わが袖は 水の下なる石なれや 人に知られで かわく間もなし(和泉式部)

の本歌取りですが、「沖の石」の発想が素晴らしいため、作者の二条院讃岐の代表作となりました。

この時代の人は、「袖(そで)」と聞いたら、「涙」「ぬらす」と連想していました。

この歌の他にも、「流れる涙を袖でぬらす」作品は多くあります。

では、歌の心について簡単に説明しましょう。

①引き潮になっても海の下にある沖の石は、ずっとぬれたままでかわくことがありません。

②また、海の下にあるということは、人目につくこともありません。

つまり、ここで詠まれている恋心は、人知れず想う恋(=しのぶ恋)です。

「潮干に見えぬ沖の石」に、この2つの意味をこめたところがこの歌のポイントです。

二条院讃岐

源頼政の娘です。

源頼政は平安末期の貴族ですが、平氏が権勢をふるい、源氏の多くが冷遇された時代でした。

そんな中、珍しく平清盛に気に入られ、政権中枢にあり続けた人です。

その娘である二条院讃岐は、二条天皇のお側にずっと仕えていました。そのため、名前に「二条院」がついています。

優れた歌が多く、「新古今和歌集」「千載和歌集」などの勅撰和歌集に多くの歌が入撰しています。

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